社会性昆虫と組織と勝利点(3)

今回は、「みんな自分の利益を求めて動く」ということを「勝利点」という概念を使って抽象化してみる話。
「利益」という言葉を使うとそれはどうしても金銭についての話に聞こえてしまうため、見方が一面的になる気がする、というのと「あなたは利益のために動いている」と言われたら守銭奴と言われているような気がして言いたいことを受け取られないのではないかと思ったから敢えて違う概念を取り入れてみることにしてみた。

まずここで言う「勝利点」とは?
主にアナログゲームで勝つために集める点数のことを指す、と定義しておく。
そして勝つためにはこの勝利点を「誰よりも早く規定の点数集める」か「ゲームの終了時点で誰よりも多く集めている」のどちらかとなる。

前者の例としては「すごろく」が挙げられる。
誰もが知っているすごろくは、出た目の数だけ駒を進めて、最初にゴールに入った人が勝ち、というとても単純なゲームだ。
この出た目の数で進んだ距離を「勝利点」と定義すればすごろくは、サイコロを順番に振ってその出た目の合計が規定の数(=ゴールまでの距離)に最初になった人が勝ち、と言い換えることができる。

後者の例としては「麻雀」を挙げよう。
麻雀は半荘と呼ばれる回数だけプレイして、その回数が終わった時点で最も多く点数を集めた人が勝ち、というゲームになる。
(半荘以外もあるとかハコテンとかそういうことは無視する)

この勝利点の集め方の違いはプレイヤーのゲームの遊び方の違いに直接関係する。
先に例を挙げたすごろくだが、このプレイ中、多くの場合はサイコロが大きい目が出るように祈ることになる。
これは勝利点を早く集める、という目標に対しての最適行動を選んだ結果だ。
このすごろくとよく似たゲームに人生ゲームというものがある。
人生ゲームは人生のように子供自体から始まり、ゴールまで年を取るような設定でできている。
そしてその勝利点は多くの場合、「持っている資産」となる。
これによってすごろくの遊び方が変わる。
すごろくであれば分かれ道があった場合、どちらの方がより早くゴールできるかで判断することになる。
(すごろくで分かれ道があるなら、それぞれの道にNマス進むというマスがあり、それを踏めるかどうかで判断するだろう)
それに対して、人生ゲームは最終的に資産を持つことが勝利に繋がる為、ゴールを遅らせてでも資産を稼ぐ、というプレイをするようになる。

人生ゲームもすごろくもどちらもランダムに数字を出して、出た目の数だけ駒を進めるゲームなのに勝利点の設定次第で全く異なるゲームとなる。
この観点を前回の話と絡めつつ、組織について話をしようと思う。

社会性昆虫、というアリやハチの話をした。
前提として生物は自らの遺伝子を最も広げられるような生態をしている、ということを真としておく。
(『利己的な遺伝子』あたりで書いてあるような話)
社会性昆虫の不思議な点は、生物は自らの遺伝子を広げるために行動しているはずなのに、自ら生殖を行わず自らの生よりも集団の生を優先する点にあると思う。
自分の遺伝子を広めたければ集団のために命を使うのではなくて、自分の子孫を作るべき、という話になる。
自分の子孫であれば自分と同じ遺伝子を半分持っている。しかし、自分の親から生まれた兄弟たちは確率的に半分しか自分と同じでは無い。
両親の遺伝子の半分が子には遺伝する。
例えば父親の遺伝子の半分を自分はいる持っている、兄弟の場合は父親の半分でも自分と同じ半分が選ばれるとは限らない。
ある特定の遺伝子AとBがあった時、自分に遺伝したのがAだとしたら兄弟はAとBのいずれかを半分の確率で持っていることになる。各遺伝子についてこのように考えられる為、兄弟の間では確率的に父親から遺伝した遺伝子のうち半分が一致していると考えられる。(自身の四分の一が一致している)
また、母親に対しても同様になるため、全体でみると父親からの遺伝子(全体の50%)のうち半分が兄弟と一致(全体の25%)し、母親からの遺伝子(全体の50%)のうち半分が兄弟と一致(全体の25%)すると思われる。
そのため、確率的に半分の遺伝子が一致する兄弟姉妹よりも、確実に遺伝子の半分が一致する自分の子供の方を大事にする、という行動が「自らの遺伝子」を広げるという勝利点を稼ぐ最適行動となる。

アリやハチの場合、この遺伝子の伝わり方が異なる。
自分の子供よりも同じ女王から生まれた姉妹の方が遺伝子の一致率が高いのだ。
具体的には「半倍数性」でWikipediaを見ていただく方が良い。説明できるほど理解しきれていないのと説明しだすとそれだけで非常に長くなるため、上記の事実以外については触れないことにする。
さて、姉妹の方が遺伝子が一致している、ということは自分が生殖して子供を作るよりも姉妹を増やす方が自身と同じ遺伝子が増えることになる。
こうして遺伝のルールを変えることで、「自らの遺伝子を広げる」という勝利点を達成するための最適行動が集団の繁栄となる。
勝利点に関するルールを変えることで行動が変わる、という例になると思う。

では組織においてはどうなるか。
会社という組織では、多くの場合、「金銭的な利益を稼ぐこと」が勝利点となる。
そのため、会社全体の判断は金銭的な利益が大きいものを選択するようになる。

しかし、会社の中で働く人の勝利点は異なる。
まず、経営者(単純化するため株を最も持っているとする)の場合、「株の価値を最大化すること」になる。
これはほとんどの場合、会社自身の勝利点と一致する。
しかし、株の価値が最大化することが勝利点なのでそのために金銭的な利益をあげるよりも容易な方法があればそちらを選ぶことになんら違和感はない。
そのための方法はいくつもあるが、中には社会に不利益を与えるものもある。それらを社会の勝利点のために犯罪とし、防ごうとしている。
(社会も当然何かしらを勝利点としているが、それについてはここでは触れない。掘り下げたい方向は個人であるので話の展開が逆方向になるため。)

そして、従業員ではどうなるか。
従業員が会社から得るものの代表例は当然「給与」であるため、「給与を最大化する」ことが個人の勝利点となる。
給与を最大化するためには、会社に対して利益を示す、昇進する、などがある。
昭和の日本(とくくるにはちょっと大きいが雑でも大きくくくる)では会社の利益のために尽くせばそれは達成できた。
そのため、会社に対して忠誠を誓い、仕事に対して命をかけていた。(と聞いている)
しかし、現代ではその手段は非常に難しくなっている。
利益を出すための労力が大きくなり、その結果得られる給与の増額は小さくなっている。
給与を増やすことが難しい以上、次に考えることは「現在の給与を効率よく得る」ことになる。
つまり、「仕事に労力をかけず、給与を減らさない」ことが最適行動となる。

このように会社の勝利点を得ることと、従業員の勝利点はすれ違っている。
これを調整するのが会社、組織の運営だろう。
従業員が勝利点を得ることで会社が勝利点を得るようなゲームを作ることだ。