社会性昆虫と組織と勝利点(2)

前回の『ハキリアリ』と関連付けると面白いと思った本を紹介する。

神の目の小さな塵』というSFだ。

ラリー・ニーヴンとジェリー・パーネルという人たちが書いており、どちらも有名な人らしい。

1978年に書かれたこの本のあらすじを一言で表すと「異星人とファーストコンタクトする話」と言える。

宇宙に出た人類が人類以外の知的生命体と出会ってアレコレする話、ということ以上のストーリーは正直忘れてしまった。

今回注目するのはこの異星人の生態だ。

 

この異星人たちはおおよそ人型をしていた(はず)。

ただ、人類とは決定的に異なる点がある。

それは、体が各々の生まれ持った役割に適した形になっている、ということ。

人類が異星人たちを知っていくと三種類の役割があることがわかってくる。

最初に出会ったのは「エンジニア」と呼ぶことにした種類。

彼らがどんな形をしていたかはもう忘れてしまったが、手先だけは非常に器用に動かせる形をしていたと記憶している。

エンジニアとは意思疎通が出来ず、人類が乗っていた宇宙船を始め様々なものが彼らに勝手に改造され、見た目からはどのような機能を持っているかはわからない上にどうやって動かすかもわからなくなるが機能自体は非常に優れている、という宇宙のような危険で未知な場所に出た人類にとって非常にタチが悪い生態をしている。

次に出会ったのは「メディエーター」と呼ばれていた。

彼らは比較的小さい形をしていて常にニコニコと笑っているような表情をしていた(はず)。

最初はやはり会話は出来なかったが、少しの時間で人類の言葉を覚えて会話が出来るようになった。

メディエーターは英語でmediator、仲介者を意味する。名前の通り、異星人と人類の間を仲介してくれていた。

しかし、彼らは自分自身の意思を一切見せない。

人類の言葉を受け取り、次に紹介する「ボス」と呼ばれる種類へ伝え、そのボスの指示を人類に伝える、という本当に仲介しかしない種類だ。それでいて表情は笑っているため、何を考えているのかがわからず不気味に思っていた。

人類は会話が出来るのに意思疎通が出来ないメディエーターに対して非常にもどかしい思いをしていた。

そして最後は「ボス」と呼ばれている。

ボスは他の種類よりやや体が大きく偉そうに見える。

ボスは自分自身では人類に対して意思表示をすることはない。

決定権を持っているがメディエーターを通してしか会話が出来ない。また、ボス同士で縄張りがあるらしく、他所の縄張りに対しては不干渉を決め込んでいる。

人類はこのボスとしか交渉が出来ないのにメディエーターを介さざるを得ない状況にやきもきしていた。

また、既に滅びた種類であるが、体が大きく手が武器のようになっている戦士の役割を持つ種類もいた。

 

このような異星人の生態を読んで、まず思ったのはハキリアリのように分業している社会性異星人(?)だ、ということだった。

前回、ハキリアリの分業の中で書き忘れていたが、アリたちは当然その役割によって体が異なる。

働きアリたちは巣の中で動きやすいようにやや小さく、兵隊アリたちは体が大きく武器となる顎も大きい。

異星人たちもその役割に応じた体の形をしており、役割による分業を崩そうとしない。

この様子は人類が社会性生物となって体をその役割に応じた形に作り変えていったらこうなるのかな、という思考実験のようにも思えた。

そしてその思考実験の結果はあまりうまくいかないようにも思えた。

 

生物が子孫共々繁栄していくためには変わっていくことが重要だ。

変わり続ける環境、周囲の他の生物、病気や災害のような脅威を乗り越えるためにはそれぞれに対応出来るように変わり続けていくしかない。

これを進化を呼ぶ。(いや実は進化ってちょっと違うんだけどそういうことにしておく。)

今、地球上で繁栄しているヒトはその形は数千年前からほとんど変わっていないと思われる。

他の動物に比べ、力は弱く、空を飛んだり、速く泳いだり、速く走ることも出来ない。

あるいは昆虫のように小さいわけでもない。

ヒトの体は非常に弱いものになっている。

多くの生物たちは生き残るために体、つまりハードウェアを進化させてきた。

そのため、生まれつき何かに特化していることが多い。

それに勝てない人類は知恵を得て発展してことは自明だが、変化するためにソフトウェアを育ててきた、と解釈することが出来ると思った。

ヒトの体は汎用的なハードウェアでそこに乗ったソフトウェアで色々なことが出来るようになった。

力に劣るヒトがより力のある動物を殺すための道具を作り、地上を人間よりも速く走る動物よりも速く移動できる手段を作り、空を飛ぶ鳥よりも速く移動できる手段を作り、弱いハードウェアに様々な外付けパーツを組み合わせることで強いハードウェアを持つ生物たちに勝ってきた。

例えるなら、ヒトはパソコンであり、他の動物は家電のようなものかもしれない。パソコンで冷蔵庫のように物を冷やすことは出来ないが、パーツを付ければそれも(多分)可能になる。

生物がそのハードウェアを変化させるには数世代では届かないような長い時間が必要だけどソフトウェアはその個体の一世代だけでも変化することが出来る。その柔軟性こそがヒトの武器だろう。

それに対してこの異星人たちはハードウェアを変えてしまった。

その変わった体を次の環境に適応出来るようにするためにはまた長い時間が必要になる。

急な環境の変化があればこの異星人たちの未来は暗いものになるだろう。

 

当初、この本を読んだ時はそのようなことを考えたのだけど、その後また別の捉え方をするようになった。

この本は元々、読書をテーマにした社会人サークルのある講演会の課題図書だった。

SFに詳しい演者が課題図書として数冊のSFを提示し、講演会ではそれらの本の解説からSFの話をしていた。

それによるとこの異星人たちはアメリカ人から見た日本人を表しているらしい。

1950年代から1970年代にかけて、日本は高度経済成長期と呼ばれる期間だった。

日米貿易摩擦なんてものもあったりしてアメリカが日本に対して恐怖を覚えた、というような時期だったはず。

当時のアメリカについては知らないけれどおそらく国民性は今と大きく変わらないのだろう。すなわち、自分の意思を持ち、はっきりとそれを伝えることを良しとしているはずだ。

それに対して日本人の職人と呼ばれる人たちは言葉で語らないが優れた物を作り、交渉役となる人たちは「社に持ち帰って上司に相談します」と自分の意思を語らず、その上司は偉そうにしているが自身の言葉で語ることはなく交渉役を通してしか話が出来ない。

自分の意思を伝えることをせず、何を考えているかがさっぱりわからない。そのような姿が異星人のように見えたのだろう、と講演では話されていた。

 

この異星人が日本人である、という話と当初の感想で思ったように異星人が社会性昆虫の生態に似ている、という点が繋がった。

つまり、日本人は社会性生物だった…?

当時の日本では会社というコロニーの中で各々が自身の役割をこなすように分業しており、会社が超個体となって個人の意思ではなくて全体の一つの意思で動いているように見えたのではないだろうか。

一つの個体(あるいはそれぞれが意思を持つ集団)と、超個体となった集団であれば一つの意思に従って動く超個体の方が生存しやすい。

もしかしたらそれが当時、日本が躍進した理由の一つかもしれない。

それと同時にもう現代では同じ手段は使えないだろう。

集団で一つの意思に従う、ということは中で動く各個体の意思は無視されるということになる。

それがどのような問題となるかは例を挙げるまでもない。

どうすれば良いか、なんてことを考えるつもりは全くないのだけど、もしかしたら様々な生物の生態はそのヒントになるかもしれない。そんなことを考えた。